「スリープレス・イン・シアトル」の家

 「シアトルはアメリカのどこにある?」と尋ねられて、正確に説明できる人は日本ではそう多くないのではないだろうか。西海岸の北の方のカナダの近く‥くらいが一般的な答のような気がする。私も「スリープレス・イン・シアトル」という映画を見るまではその程度だった。(邦題は「めぐり逢えたら」というのだけれど、原題の方がはるかに印象的でセンスがいいと思うので、そのまま使わせてもらうことにする。しかもこの映画はシアトルのご当地映画といってもよく、原題をそのまま使っていたらシアトルのPRになって、日本からシアトルへの観光客も少しは増えたのに‥といっても、もう20年も前の映画なので遅いか‥。)

 この映画の中で、主人公のひとりトム・ハンクスは、妻を亡くしたことをきっかけに一人息子と共にシカゴからシアトルに移り住む。引っ越した先は、湖らしき水面に突き出した、三方を水に囲まれた変った家である。板張りの桟橋に沿って旗のように何軒かの家が作られていて、トム・ハンクスは桟橋の上を歩いてその中の一番先にある自分の家に帰り着く。その家のまわりにもぐるりと木製デッキが張りめぐらされている。子持ちやもめのトム・ハンクスは、大晦日に桟橋の先っぽでひとり椅子に座り、対岸で打ち上げられる花火を眺める。あれはどんな家で、どんな場所にあるのだろう?f:id:cisaragist:20080808053511j:plain そこで私は、Google Earthでシアトルもしくはその周辺に実在していると思われる、このトム・ハンクスの家を探しに行くことにした。湖に面していて桟橋の先端にある三方を水に囲まれた家なのだから、そう難儀はしないように思えたが、実際にGoogle Earthでシアトルを見に行ったら、シアトルには水に面していて自家用桟橋のある住宅がやたらと多く、事はそう簡単ではなさそうな気がしてきた。シアトルは、実に市域の40%以上が水域になっている、水に囲まれた独特な地形の街だったのである。     

 まず驚いたのは、直接太平洋に面しているのだろうと漠然と思っていたシアトルが、実際はそうではなかったことだ。太平洋岸からは直線距離でも150㎞離れていて、水路を行くと220㎞もある。220㎞は東京から新幹線で浜松近くまで行ける距離だ。しかし、「シアトル・マリナーズ」という野球チームの名前からもわかるように、シアトルは確かに海に面した街ではある。

 太平洋岸から水路シアトルに行くには、まずカナダのバンクーバー島と、アメリカの北西の端になる三角の半島「オリンピック半島」との間のファンデフカ海峡に入らなければならない。アメリカとカナダの国境線がある幅20㎞ほどの海峡だ。ここを東南東に向けてずっと奥に進んで大陸に突き当った右手、オリンピック半島の東側に深い亀裂のような大地の切れ込みがある。(正確にはこの切れ込みによってオリンピック半島が半島として成立しているのだけれど。)この切れ込みがシアトルのあるピュージェット湾だ。

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 湾といっても、オリンピック半島の根元から奇怪な矢印のような形をした大きなキットサップ半島が張り出して中心を占め、ほかにも氷河によって切り取られた比較的大きな十数個の島々(小さい島を入れるともっとある)がこの湾を埋めているので、その大部分は陸地である。ピュージェット湾の最大の入り口は、ファンデフカ海峡を150㎞ほど奥に入ったところにある。湾の大きさは東西に60㎞、南北に160㎞ほどあるが、一番大きい入り口でも、最峡部は6㎞ちょっとしかない。ほかにも入り口はあるけれど200mにも満たず、極めて狭い。さながら隠れ湾のようだ。

 その最大の入り口から平均幅6~7㎞の狭い水路(といっても、ピュージェット湾内のほかの水路に比べれば一番太くて長い)を70㎞ほど南下したところにシアトルがあり、水路をさらに湾の一番奥まで70㎞ほど進むと、ワシントン州の州都オリンピアがある。この隠れ湾の周辺に、シアトル・タコマを中心とするワシントン州最大の都市圏があるのだ。何となく地底都市を連想してしまう。

 このピュージェット湾の一番大きな120㎞の切れ込みを日本に適当に当てはめてみると、東京湾からだと日光のあたり、または高崎の向うまで切れ込むことになるし、大阪湾からだと関ヶ原の近くまで切れ込む。そんなものが日本にあったら大きな傷のように目立っていただろうが、アメリカにあるとかすり傷程度にしか見えないのはさすが北米大陸である。 

 このピュージェット湾自体、かなり面白い形をしていて、特にオリンピック半島とキットサップ半島を仕切っている長~い「レ」のような形をした切れ込みはなかなかのものだ。天然の水路なのに、あえてフッド運河と名づけられているのもわかる気がする。しかし、シアトルの地形が独特なのは、そのピュージェット湾にあるからというだけではない。シアトルの東側は、全面ワシントン湖に面している。つまり、シアトルは西側も東側も完全に水に面している細長い陸地なのである。南北に約30㎞弱、東西の幅は一番広い所で12㎞くらい、シアトルの中心地エリオットベイに面しているあたりは一番狭く4㎞くらいしかない。

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 ワシントン湖は、シアトルの街より少し南北に長く、東西の幅は半分くらいの帯状の湖だ。英語ではこのような帯状の湖をRibbon Lake というらしく、ピュージェット湾内の水路の成り立ちと同じく、氷河の作用によって出来た湖のことだそうだ。その東には、同じくらいの間隔をあけてワシントン湖を縮小コピーしたようなサマミッシュ湖がある。

 さらにシアトルの街は、ピュージェット湾とワシントン湖を結ぶLake Washington Ship Canalで北と南に分かれている。昔は西のピュージェット湾と東のワシントン湖は繋がっておらず、陸地の方がつながっていて、元々真ん中にあったユニオン湖(右の写真中央・ピンが刺さっている部分)をピュージェット湾とワシントン湖につなげたのがLake Washington Ship Canalである。この運河によって、シアトルの北部も南部も三方を水に囲まれ、さらに水だらけの街になったという訳だ。最初見た時、二つの半島が向かい合ってくっついているように見えたのはそのためである。

 さて、トム・ハンクスの家探しはどうなったかというと、ワシントン湖とワシントン湖の中の島であるマーサー島の湖畔をくまなく見てまわったけれど、どちらも細かい針のような自家用桟橋に縁取られてはいるものの、それらしい家付きの桟橋は見つからなかった。その代わりにビル・ゲイツの家を発見。シアトルから見て、ワシントン湖の対岸になるビル・ゲイツの家の周辺は、全米でも有数の高級住宅地である。一軒々々の敷地があまりに広く、ストリートビューで通ると家屋など見えず木ばかりで、道路脇もそれほど手が入れられているようには見えず何だかワイルドで山の中みたい。日本のちまちまとした高級住宅地とはかなり趣が違うのだった。

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 家探しの決め手になったのは、映画に出てきた特色のある公園・ガスワークパーク(上の写真)だった。トム・ハンクスは家の前から息子と共にモーターボートに乗って外洋=ピュージェット湾に遊びに行くのだけれど、舟を出してまもなく、画面の奥に風変わりな公園が写り込んでいた。それが、シアトルの真ん中、ユニオン湖の北岸にあるガスワークパークだったのである。そして、公園が写っている方角から、トム・ハンクスの家はユニオン湖の西岸にあるのではないかと推測でき、その通りに見つかった。今は「スリープレス・イン・シアトル」の家として、写真付きでちゃんと紹介されている。ああいう家を英語では over water bungalow というらしい。

 ガスワークパークも、今やストリートビューで中をくまなく見て回ることができる。現在シアトルで最も人気のある公園だそうだ。この公園からユニオン湖越しに望めるシアトルの街は本当に美しい。(ガスワークパークのウィキペディアはこちら→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF)

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 映画の中で、トム・ハンクスが息子と遊びに行ったウェスト・シアトルのビーチからは、水路を挟んでピュージェット湾を埋めている島や半島が目の前に見えている。しかし、タコマまで南下しないと橋がないので、シアトルから対岸の島や半島へは、フェリーが最も重要な交通手段になっているようだ。多くの人がフェリーを使って半島の町や島からシアトル周辺に通勤・通学しているのだろう。何しろ隠れ湾のようなピュージェット湾なので、外洋の影響をあまり受けることなく時間通りに運行できるのがこのフェリーの自慢らしい。

 シアトルとフェリーで結ばれている町、キットサップ半島のブレマートンの港にはピュージェットサウンド海軍造船所があり、空母や原子力潜水艦などが並んでいるのをGoogle Earth でも見ることができる。シアトルは、日本に最も近いアメリカ本土の大都市であり港でもある。

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